warauba-ba3
前回から36日もたってしまったとは! 昔よくいわれました。 年を取ると毎日が早く過ぎてゆくと。 その時は嘘だと思いました。 なぜって公園や図書館でぼんやりしている高齢者をよくみかけましたから。 でも確かに元気な間私の母は忙しい、忙しいの連発でしたね。 そして今、私もとにかく忙しいのです。何が忙しいかって?
第一にはもちろん動作が遅くなったことでしょう。 次に探し物に費やす時間が増えた! これって予想外でした。 それから今のうちにやっておかなくてはという事が増えた。 あれもこれも皆家人に知らせておかなくては、もし万が一口もきけない状態になったらこれだけはというのがあって、身辺整理に費やす時間がこれまた増えました。
70歳を過ぎた時、降圧剤を飲むようになってから、悔いのない人生にむけて再出発しようといろいろ考えを新たにしました。
まず健康維持のために週4回程度のウオーキング(プールでの水中歩行を含めて)。
これは絶対不可欠の第一要素ですから。
そして海外旅行をあと幾つか済ませて、次はここぞと思う国内旅行に変更してゆくこと。 身辺を断捨離すること。 健康維持のために庭の一部で始めた野菜づくりを計画的にしてゆくこと。 そして会いたい人には早く会っておこうと。
ところが誤算がありました。 夫の退職です。 これによってすべての日常生活に大きな変動がありました。 まず3度の食事に追いかけられること。 食料の買い出し量が大幅に増えたこと。 そして家が汚れることです。 またつけっぱなしのテレビに疲れました。 これらの調整には丁度3年ほどかかりました。
それでもまだすっきりとはしません。 考えてみれば息子が家を出てから土日を除いて30年近くもほとんど一人での食事が多かったのですからね。私はとうに自立してしまったのですが夫は居場所と生活リズムを見出すのに苦労しているようです。
共通の趣味といっても海外旅行に行くくらいしかなく、話題つくりに始めた畑仕事が意外と仲を取り持ってくれています。 水泳教室にも通うようになったので接点が増えたj
ようですが。
高齢化したらまず足。 そしてボケ防止の工夫。 他人様に迷惑かけないように自立する努力。こんなことを心掛けながら楽しく生きてゆきたいと願っています。
次回からその心がけを紐解いてゆこうと思います。
warauba-ba2
ブログの二日目 どうやって次の文を書くのかさえ分からなかったけれど、なんとかここまでたどり着きました。やれやれ。 今日のテーマは大阪の森千波さんのおばあちゃまの話。 94歳になられた渡久地恵美子さんはお孫さんのデザイナー森千波さんの作品のなんとファッションモデルをなさっています。 その愛らしい笑顔が世界中の人たちを魅了しているそうです。 たまたまテレビで知ったので、ついでといっては失礼ながら沙織織というものを調べてみました。1969年 城みさ さんがたまたま織布の織り邑を見て、「キズはキズでなく織手の個性」と発想の転換をしたのが始まりなのだとか。 現在98歳いまだ現役でご活躍とのこと。 そのお教室にかかげられた三つのスローガンがとてもよい。
その一 機械のまねをしない。(主体は人間)
その二 思い切って冒険
その三 キラッと輝く目をもとう。
これって約半世紀も前にいわれたことなんですよね。
こうして今日も私は年齢の枷に背をむけて笑い飛ばすことにしました。
笑うばーば万歳!
■
はじめに。
やりました! 75歳! 後期高齢者! 私だってまだブログ位やりますよ。
なにしろ高齢者とは75歳以上をいうとレッテルをはられてから、腹をたててます。
なんでレッテル貼る? 15歳の年寄りもいれば100歳の若者がいたっていいじゃないですか!
連日のテレビや新聞を読む限り勝手なことばかり言っているから、つい年も忘れて腹をたてるのです。
ほらほらもう年に振り回されてるでしょう?
これほとんどマスコミによる病気。
政治家みたって後期高齢者多いでしょう? 天下りの誰かさん達だって同じ。
私達戦争を生き抜いた強者です。
しかももう怖いものなし。 元気そのもの。
それなのに高齢者の発言場所が少ないのはいかがなものでしょう?
人口の4分の1が高齢者の日本なのになぜ若者に迎合しなくてはいけないのか?
なにも対抗しようというのではないけれど私達だって立派にこの国を支えてきた戦士なのですから。
ひとそれぞれの意見は必要でしょう。 最近目にするのはいきなりきれる高齢者が男性に多いということです。 あれ、普段から言いたいことをいえなくて相当不満がたまっているのではないですか? 家でも奥様に叱られ子供に無視されやりばのない我慢をつい外で発散させるのかも。 ひがまないで皆で本当の大人になりましょうよ。
犬の散歩しながらこれまで自分が家族にどう対応してきたのか?とか死ぬまでに妻に本音をいうチャンスをみつけられるだろうか?とかまあそんなことを考えるのもよいかも。
一億総携帯の網をくぐって人間性回復の道を再生できるのはもしかして携帯を知らなかった私達の役目かも。
これから毎日の出来事にマスコミに迎合することなく「何でかな?」という素朴な疑問をぶつけてきたいと思っています。