waraux-ba-baの日記 その9

あまり間があくので、はて何回目?という感じです。 それでも生きている証として今日も書こうと思っています。 この年まで生きてくると本当に悲しいことに何度も出会い、それを潜り抜けてはまた出会いという連続です。 家康公の言われる通り「重き荷物を背負いて遠き山道を行くがごとし」なのかもしれません。一方では「隣の芝生は青い」ので自分だけが何でこんなひどい目に?などと思うことが良くありますが、実際は中にはいれば皆それぞれが悩みを抱えているのかもしれません。 そんな風に考えると電車のなかの独りひとりが何気ない風を装っていても、心では悲しい思いに耐えているのかななどと思えたりします。 人間の心なんて本当にか弱いのに、時としては想像を絶するほど強くなれることもあります。 だから生きてゆけるし、他人の心の揺れにも思いをはせることが出来るのかもしれません。ただあまりにも自分の心と向き合っていると疲れるし、本当の自分を見失ってしまいそうな気もします。

大勢の中の自分をみるのもよいのかもしれないと時々外へでる努力をしている毎日です。これってちょっと鬱っぽいですね。 でも鬱の後には躁がやってくるものです。

だからやはり笑うのが一番かも。

waraux-ba-baの日記 その8

またもやお久しぶり!! 今夜は台風がむかっているようです。

私の住処はご先祖様の御蔭か水も崖も心配なくこの100年以上安穏に暮らせています。

それでテレビや新聞で、被害にあわれた方々を見るたびに本当に心が痛みます。

それなのにその中から強く立ち直る方々の姿にかえって勇気づけられているのが実情なのです。申し訳ないことです。

でも、子供のころの台風の思い出はまた別です。

台風が来ると必ず裏の田んぼがあふれ近くの川が氾濫し小舟が出たり、学校がやすみになったり、どこかの池から流れ出た鯉や金魚がいたり、そして消防車などがでると、それはワクワクしていたものでした。

子どもはなんと不届きなものでしょうね。

今はせっかくの野菜がたおれないかとか潮風にやられないかとかそんな心配です。

ただ、人間の無力さというか、自然の力の脅威というものをまざまざと見せつけられるような気がします。

生きてゆくという課題を背負いながら日々を過ごしている私にはあれこれ選択の余地もないのですが、目先は健康で他人様の御世話にならないよう自立することぐらいしかありません。 わずかながら戦争を体験?してきた年齢は滅多なことではつぶれない図太さも持ち合わせているのですが、やはり年齢の壁はそう簡単にはのりこえられませんからね。 それでも笑って過ごすほうがいいのでは?

そう思って今日も笑うのです!

 

waraux-ba-baの日記 その7

また間が空きました。 なんと人生後半の時の立つことのはやいことか!

若いころには想像もできなかったほどの速さです。 正月が冥途の旅の一里塚なんてものではなくて、その十倍くらい? やり残しがあるな! そう思うといてもたってもいられない。 それではまず何を? 身辺整理、行きたいところへはなるべく早く行く、会いたい人にはすぐ会う、食べたいものは食べる(食べ過ぎということではなく)

やりたいことは他人様の迷惑にならなければすぐやってみる。

まあこんなところですが立ちはだかる壁は健康維持なんですよね。

私の検診は基本的には血液検査と頭のMRIと歯の定期掃除です。 

自助努力は体重減量、歩く、食事内容のチェックくらいでしょう。

その他いろいろと探して苦労するのは嫌なのです。

ニュージーランドー在住の友人がパーキンソンにかかっていますが、基本的には医療費はただです。 ただし先進医療は若い人が優先で飲んでいる薬も日本では古い?種類のものです。 加齢とともに衰えてゆく高齢者は後回しになっても私個人としては十分納得できるのですが。

食事に関して言えば狭い自宅の庭で家庭菜園をやっています。 老人二人の生活に新鮮な緑が加わるとそれだけで華やぎます。 今はインゲン、きゅうり、なす、スッキーニ

ですがトマト、カボチャ、冬瓜、落花生、ピーマン、パプリカ、ニンジンなどが育っています。昨年までは衣装ケースを並べてお米を作っていましたが、籾摺りが大変なので

やめました。 でもすりばちで玄米にしたお米はほんとうにおいしかったです。

そのあとに今年からハスを植えました。 近くのハス池から頂いたハスの実をうえたのですがことしは花はまだ無理でも、おたまじゃくしやカエルがいたりしてトンボもきたりで楽しいです。 ブドウも今年は良い出来ですが摘果するのが身を削られるようでなかなかできないのが素人所以でしょうか? 年によって出来たり出来なかったりで変化はありますが、種から育てたアボカドが50個も実をつけた時は感激でした。

でもあまりにも大木になったので枝落としをしたためこの2年は成りません。

庭の野菜事情も人間と同じなのでしょうね。 

waraux-ba-baの日記その6

今日は太陽光のこと。 我が家では10年ほど前に先駆けて太陽光発電システムをとりいれていました。 ちょうど10年で投下資金回収?くらいにはなりました。 一番割のよい時(国、市町村等の補助金及び買取金額が)に設置してやっとトントンですが、地球の温暖化防止にすこしでも協力できればと思った訳です。

ところが最近ひどい仕打ちをしているではありませんか! これを始めた原点は何だったのでしょうか? 原発推進のために国が異常に対応しているとしか思えません。

表面は色々最もらしい言い訳をしていますが、本気になって対応しているとは思えません。 ガス代、電気代その他から復興特別税とやらを支払わされていますがこれって結局原発のお粗末な対応の尻ぬぐいでしょう? 一見被害者の方々をメディアにもってくれば誰も文句なんていいませんが、どう見たって東電と国のお粗末な結果だとなぜ

メディアははっきりと追及しないのでしょう?

諸外国で風力発電や太陽光その他簡便な太陽エネルギー利用のシステムを見る限り、決して侮れないシステムだと思います。 何かの権力がからみあっているような気がしてならないのです。 国民は税金を支払う以上、知る権利があるはづですね。

我が家で庭の噴水が壊れてパネル一枚の小さなソーラーパネルの噴水システムを購入たのですが、なんと天気の日はこれで十分なのです。ちなみに980円でしたが。

つまり蓄電システムが改良されれば、太陽光はもっとすごい力を発揮するはづです。 でも国の予算は原発にとられているのです。

ギリシャの家々の屋根には、昔懐かしい給湯用のボックスがどこでも乗っていました。

太陽エネルギーはただなのです。 発展途上国のエネルギーに不可欠のもの。

海外援助のお金はこんなところにも使って欲しいものですね。

waraux-ba-baの日記その5

今日は自転車道のこと。

最近久しぶりに自転車道を通って改めて腹が立ちました。 まずこの狭さ!

そしてこの斜面!いいわけのための道路なのだと思います。

一度この管轄のお偉方に自転車で、車がビュンビュン通る雨の日に、子供をのせて走ってもらおうではありませんか? まだ広い道路はさておいて、我が家近くのの狭い道路に二車線の自転車道がありますが反対車線は壁です。ちょっとでもぶれたら激突します。反対車線があるばかりにそこを通らなければ逆行になるので反対車線の自転車ににらまれるのです。しかも自転車道は至る処違法駐車で塞がれ、いったいどうせいというのじや?といなおりたくなるほど。その上自転車置き場って少ないですよね。止めるつもりで乗っていった先の置き場が満員なんてざら。 日本人ってすごく我慢強いのですね。そのおかげで議員さんも無頓着になるのかも。

デンマーク自転車道はよかった! 自転車の主張がされているのですね。 もちろん小さいときから法規はきちんとしつけれれています。

でも完璧な自転車道が走っているのです。 車は購入に一年以上はかかり、税金も車以上に高いので嫌でも自転車に乗ることが多いのですが、大きな箱のようなベビーカーを前輪につけて走るので子供もとても安全です。人も車も自転車道では自転車が最優先なのでそのスピードもすごい。 駅近辺への車の乗り入れも時間帯で制限されているし上手な政治だと思います。 その上至る処に公共の乗り合い自転車が整備されていて、登録し、一定の料金を納めていれば先々のブースで乗り捨てたり乗り継いだり出来るのです。

この狭い日本で車政治より自転車政治の方が優先されてもいいのでは? そうすれば高齢者の運転云々も減少するかも。

厦門の山奥で見たのは牛車ならぬ電動自転車でした。 あのミサイルとばしてるどこかのお国でも首都は電動自転車なのですよね。 考えて欲しいものです。

warau-ba-baの日記 4

また溜まってしまっています。 自分のことはさておいて、私は本来ズブの素人としてなぜかな?と思うことを書いてみたかったのでした。 

それでは初心にかえってと。

例えばなぜとなりの市は高齢者サービスに乗り物券で、うちの市はマッサージ券なのでしょうか?

これって誰の意見なのでしょうかね? 

乗り物に乗りたい人には乗り物券、マッサージが必要な人にはマッサージ券とかいう融通性はないのでしょうか?

高齢者に銀杯(メッキの)とか座布団とかお祝い品になっていますが私なら嫌です。

選択肢のない上からの下賜とはいえこれって税金なんですよね、原資は!

例えば元気を祝って寄付したいとか、食事券とかタクシー券とか、もっとアイデアありません? 江の島水族館だって高齢者割引ないですよ。

私が台湾に行ったとき感心したのは高齢者の交通費がすごく割引されていることです。

老人半票?とかいったと思いますが施設の入場料も安くなっていたと思います。

また海外でも先生に引率された小学生がいろいろな史跡で無料で学んでいました。

日本の文明度はこの程度なのでしょうか? 阿部さん!教育と福祉の原点を再調査して下さいね!

 

 

 

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前回から36日もたってしまったとは! 昔よくいわれました。 年を取ると毎日が早く過ぎてゆくと。 その時は嘘だと思いました。 なぜって公園や図書館でぼんやりしている高齢者をよくみかけましたから。 でも確かに元気な間私の母は忙しい、忙しいの連発でしたね。 そして今、私もとにかく忙しいのです。何が忙しいかって?

第一にはもちろん動作が遅くなったことでしょう。 次に探し物に費やす時間が増えた! これって予想外でした。 それから今のうちにやっておかなくてはという事が増えた。 あれもこれも皆家人に知らせておかなくては、もし万が一口もきけない状態になったらこれだけはというのがあって、身辺整理に費やす時間がこれまた増えました。

70歳を過ぎた時、降圧剤を飲むようになってから、悔いのない人生にむけて再出発しようといろいろ考えを新たにしました。

まず健康維持のために週4回程度のウオーキング(プールでの水中歩行を含めて)。

これは絶対不可欠の第一要素ですから。

そして海外旅行をあと幾つか済ませて、次はここぞと思う国内旅行に変更してゆくこと。 身辺を断捨離すること。 健康維持のために庭の一部で始めた野菜づくりを計画的にしてゆくこと。 そして会いたい人には早く会っておこうと。

 

ところが誤算がありました。 夫の退職です。 これによってすべての日常生活に大きな変動がありました。 まず3度の食事に追いかけられること。 食料の買い出し量が大幅に増えたこと。 そして家が汚れることです。 またつけっぱなしのテレビに疲れました。 これらの調整には丁度3年ほどかかりました。 

 

それでもまだすっきりとはしません。 考えてみれば息子が家を出てから土日を除いて30年近くもほとんど一人での食事が多かったのですからね。私はとうに自立してしまったのですが夫は居場所と生活リズムを見出すのに苦労しているようです。

共通の趣味といっても海外旅行に行くくらいしかなく、話題つくりに始めた畑仕事が意外と仲を取り持ってくれています。 水泳教室にも通うようになったので接点が増えたj

ようですが。

高齢化したらまず足。 そしてボケ防止の工夫。 他人様に迷惑かけないように自立する努力。こんなことを心掛けながら楽しく生きてゆきたいと願っています。

 

次回からその心がけを紐解いてゆこうと思います。