waraux-ba-baの日記 その12

やれ、また督促状?がきてしまいました。 時の立つのはなんと早いことか!

過日テレビでみたのですが、メルカリとかいうネット上の直接売買をするヤングママの逞しさに圧倒されました。

50年前に学んだ経済学では問屋排除という販売形態が盛んになるだろうといわれました。 工場から直接売買?へーそんなもんか! 

でもコンピューター革命以後の世界は予測すらできていなかったのです。

当時のコンピューターは720. ディスクが一枚5kgの重さでした。

無菌室でスリッパをはきかえパンチの機械とくらしていたものです。

今は3歳の子供がパソコンを駆使しているのですからね。

孫の育児に口をはさもうものなら「60年前の育児」とののしられ、すごすごと退散する始末の現在を喜ぶべきなのでしょうか?

まあそんなことがあって一念発起。ブックオフへ出かけてみたのです。

概念としては古本屋?

いいえ、違います! 私楽しくなりました! なぜって私達の世代はもったいないを心棒にして育てられた世代ですからね。 使えるものを捨てるなんて身を切られるようにつらいのです。 それがこんなに堂々として販売されているだけで嬉しくなります。

そして思わず買いました! ブランドものの靴を!

なぜならすっと足に合い、しかも格安なんてものではありませんでした。

ブランドのなせるわざ? 腐っても鯛? いやそれは失礼かも。

とにかく楽しく時間を過ごしました。これでまた ba-baの遊び場所がひとつ増えました!

これまでも不用品を捨てるのは高齢者の義務と思ってせっせと食器や衣類を捨ててはいたのですが、これがまたその過去の心棒?のせいでなかなか思い切れません。ご近所で高齢者がなくなる度に繰り返される、庭木と家ごとばっさりの後始末を見るにつけ、本当に必要なものしかいらないという現実をまざまざとみせつけられているのに。

それでも次回は素敵なブランドアクセサリーにしようか、バッグにしようか?

懲りないba-baはきょうも笑うのです。

 

 

 

waraux-ba-baの日記 その11

最近どうも目に付くのがお粗末議員さんの行動。 メディアも結構面白おかしく仕上げていますが、それでも「ホントに大人?」と聞きたいくらいひどい。

過日見た地方議員さんのスイス視察?なんてそれこそ笑うしかありません。

吹雪の山頂から街を見下ろして?(絶対見えません。保証しますこれ。)「街づくりの参考にしました」なんて小学生だって恥ずかしくて言えないでしょう。 下山して半額セールのお土産を買いあさり、たった2時間庁舎に入って有益な交流が出来ましたとうそぶく。 一人80萬ちかくのビジネスクラスの航空代金(公費でしょ?)を使って連日ビールばかり飲んでいる。 しかも懲りずに3.4か所の展望台に上ってほとんど吹雪ばかり。 やっぱ日ごろの行いがでましたかね。すっかり追跡されていたのも気づかずに、平気で人前で嘘をつくなんてすごい度胸です。 家庭ではお子さんにどんな教育をなさっていらっしゃるのか、またどんな教育を受けられたのか伺ってみたいものです。 ある日は領収書をごまかし、ある時は不倫を「一線を超えてません」なんてほんとに成人式過ぎた人? テレビで沢山の子供たちが見ています。でもこの人たちを選んだのは誰と言われると、ちょっとひいてしまいますが。 でもこの方達を公認した各党も責任もってくださいよね。 除名すればいいっていうものではないでしょ。

きちんと追及してください。 まあ政治というものがキレイばかりでまわらないのは分かりますがあまりにも庶民を馬鹿にすると今に怖ーいお化けが出てきますよ。 

世界には自力で地域のために尽くしている日本人が沢山いらっしゃいます。地方議員の視察より現地の方々のお話を日本でしていただく方がずっと有益でしょう。

諸外国だったらゼネストになってもおかしくない状況でも日本人は優しいね。それだけ恵まれているのでしょうか。 国民性というか。 被爆者の像をアメリカ大使館の前においたりしませんものね。

実際はどこかの国が水爆実験などやっているのに、唯一被爆した我が国が静かなのも不思議に思えます。まあこの年ですから流れるままに生きてゆくしかないか。

やはり最後は笑うのが一番かも。

 

waraux-ba-baの日記 その10

今日はちょっと涼しい? やはり9月なんだと決めつけられたような妙な一日。

我が家は住人が思いつくままに勝手に庭をいじっているので、植木や野菜が混とんとしています。 植えたいものは片端から植えて、食べた種はかってに蒔いているので育つ方も勝手に育っています。 今年も春に栗が成ったと思ったら(数個ですが)夏には落ちていました。 5.6年前に実から育てたアボガトは3mを超えた大木になり、見事な実をつけました。 一方梨、桃は毎年かわいい花をさかせますが、なかなか実までたどりつけていません。 数年前に植えたバナナは大木になりましたがいまだ花もさかないのです。 それでも今年は子供のバナナがすくすくと成長し親と同じくらいになりました。家の裏では毎年かわいいピンクのバナナの花が咲くのになぜか我が家はまだなのです。

そしてなんと今年はパイナップルの花が咲きました。食べた実の底を切ってうえたのですが丁度3年目になります。 アナナス系のピンクの花ですが果たして実になるでしょうか? りんごは王林と富士の二本ですが、今年は富士はお休みのようです。 王林は13個ほどなっていますが、摘果などという大それたことは我が家ではタブーなので途中落伍したらジャムにしてしまいます。ブルーベリーも毎朝家人が適当につまんでいるので小鳥さんも迷惑なことでしょう。 ミカンやゆず、梅や夏ミカンも毎年我が家を多忙な日々にかりたてます。今年の春はレモンも200個くらい成ったので皆さまに喜ばれました。 無農薬はお子さん方のケーキには珍重されますので。今はブドウが次々と紫色に変ってゆきます。 棚の下でお盆を広げながら熟した実だけをつついて日々の果物にしています。農薬もかけず、摘果もせず、袋もかけずで自然のままにしたありますが、毎年けなげに実をつけてくれます。二本あるオリーブは3年越しですが花は咲けども実は成らずの大木になりました。庭の半分は野菜でトマトキュウリ、ナス、ズッキーニ、オクラ、パプリカ、カボチャ、ゴーヤなど。そして今年はゴボウも植えました。 ゴボウの葉のてんぷらはおつなものです。 蕗もかかせない食材です。昨年までは衣装ケースを並べてミニ田をつくりお米を作っていましたが籾摺りに手間がかかるので今年からハスを植えました。

ハスの実から植えて立派な葉は出ましたが、花は咲きませんでした。 ところが水中を探ったところ細いながら見事ハスが出来ているではありませんか!

早速ハスチップスときんぴらとして我が家の食卓にのぼりました。 ハスの実もおいしいですね。また邪魔にされる紫蘇の葉も今年は乾燥させてお茶に混ぜて飲んでいます。

ハーブとして十分な役をになっています。 ドクダミ草も我が家では煎じ薬として珍重されています。 お茶の木も植えてみましたがお茶作りはなかなかうまくゆきません。

これからは大根、白菜、きゃべつそしてジャガいもの植え付けなどかなり多忙になります。 そうそうニンニクの植え込みも今です。これはプランターなので良いのですが、我が家の野菜は狭い庭に植えるものですからサツマイモは紫蘇を乗り越えて弦を伸ばし、その隙間を落花生のつるが這いまわるというありさまで、せっかく植えたニンジンはとうとう行方不明になってしまいました。出来たものを出来た時に有難く食べるという日々なのでかまいませんが。 ただ、食べた種は必ず蒔き、小葱や三つ葉の根は植えるという単純作業でかなりの食材をえていますから自然というものは有難いものだと思っています。というわけで腰をまげながら草取りをつづけています。小雀に餌を運ぶ親の姿に目を細め、そして今日も笑える日々を感謝です。

waraux-ba-baの日記 その9

あまり間があくので、はて何回目?という感じです。 それでも生きている証として今日も書こうと思っています。 この年まで生きてくると本当に悲しいことに何度も出会い、それを潜り抜けてはまた出会いという連続です。 家康公の言われる通り「重き荷物を背負いて遠き山道を行くがごとし」なのかもしれません。一方では「隣の芝生は青い」ので自分だけが何でこんなひどい目に?などと思うことが良くありますが、実際は中にはいれば皆それぞれが悩みを抱えているのかもしれません。 そんな風に考えると電車のなかの独りひとりが何気ない風を装っていても、心では悲しい思いに耐えているのかななどと思えたりします。 人間の心なんて本当にか弱いのに、時としては想像を絶するほど強くなれることもあります。 だから生きてゆけるし、他人の心の揺れにも思いをはせることが出来るのかもしれません。ただあまりにも自分の心と向き合っていると疲れるし、本当の自分を見失ってしまいそうな気もします。

大勢の中の自分をみるのもよいのかもしれないと時々外へでる努力をしている毎日です。これってちょっと鬱っぽいですね。 でも鬱の後には躁がやってくるものです。

だからやはり笑うのが一番かも。

waraux-ba-baの日記 その8

またもやお久しぶり!! 今夜は台風がむかっているようです。

私の住処はご先祖様の御蔭か水も崖も心配なくこの100年以上安穏に暮らせています。

それでテレビや新聞で、被害にあわれた方々を見るたびに本当に心が痛みます。

それなのにその中から強く立ち直る方々の姿にかえって勇気づけられているのが実情なのです。申し訳ないことです。

でも、子供のころの台風の思い出はまた別です。

台風が来ると必ず裏の田んぼがあふれ近くの川が氾濫し小舟が出たり、学校がやすみになったり、どこかの池から流れ出た鯉や金魚がいたり、そして消防車などがでると、それはワクワクしていたものでした。

子どもはなんと不届きなものでしょうね。

今はせっかくの野菜がたおれないかとか潮風にやられないかとかそんな心配です。

ただ、人間の無力さというか、自然の力の脅威というものをまざまざと見せつけられるような気がします。

生きてゆくという課題を背負いながら日々を過ごしている私にはあれこれ選択の余地もないのですが、目先は健康で他人様の御世話にならないよう自立することぐらいしかありません。 わずかながら戦争を体験?してきた年齢は滅多なことではつぶれない図太さも持ち合わせているのですが、やはり年齢の壁はそう簡単にはのりこえられませんからね。 それでも笑って過ごすほうがいいのでは?

そう思って今日も笑うのです!

 

waraux-ba-baの日記 その7

また間が空きました。 なんと人生後半の時の立つことのはやいことか!

若いころには想像もできなかったほどの速さです。 正月が冥途の旅の一里塚なんてものではなくて、その十倍くらい? やり残しがあるな! そう思うといてもたってもいられない。 それではまず何を? 身辺整理、行きたいところへはなるべく早く行く、会いたい人にはすぐ会う、食べたいものは食べる(食べ過ぎということではなく)

やりたいことは他人様の迷惑にならなければすぐやってみる。

まあこんなところですが立ちはだかる壁は健康維持なんですよね。

私の検診は基本的には血液検査と頭のMRIと歯の定期掃除です。 

自助努力は体重減量、歩く、食事内容のチェックくらいでしょう。

その他いろいろと探して苦労するのは嫌なのです。

ニュージーランドー在住の友人がパーキンソンにかかっていますが、基本的には医療費はただです。 ただし先進医療は若い人が優先で飲んでいる薬も日本では古い?種類のものです。 加齢とともに衰えてゆく高齢者は後回しになっても私個人としては十分納得できるのですが。

食事に関して言えば狭い自宅の庭で家庭菜園をやっています。 老人二人の生活に新鮮な緑が加わるとそれだけで華やぎます。 今はインゲン、きゅうり、なす、スッキーニ

ですがトマト、カボチャ、冬瓜、落花生、ピーマン、パプリカ、ニンジンなどが育っています。昨年までは衣装ケースを並べてお米を作っていましたが、籾摺りが大変なので

やめました。 でもすりばちで玄米にしたお米はほんとうにおいしかったです。

そのあとに今年からハスを植えました。 近くのハス池から頂いたハスの実をうえたのですがことしは花はまだ無理でも、おたまじゃくしやカエルがいたりしてトンボもきたりで楽しいです。 ブドウも今年は良い出来ですが摘果するのが身を削られるようでなかなかできないのが素人所以でしょうか? 年によって出来たり出来なかったりで変化はありますが、種から育てたアボカドが50個も実をつけた時は感激でした。

でもあまりにも大木になったので枝落としをしたためこの2年は成りません。

庭の野菜事情も人間と同じなのでしょうね。 

waraux-ba-baの日記その6

今日は太陽光のこと。 我が家では10年ほど前に先駆けて太陽光発電システムをとりいれていました。 ちょうど10年で投下資金回収?くらいにはなりました。 一番割のよい時(国、市町村等の補助金及び買取金額が)に設置してやっとトントンですが、地球の温暖化防止にすこしでも協力できればと思った訳です。

ところが最近ひどい仕打ちをしているではありませんか! これを始めた原点は何だったのでしょうか? 原発推進のために国が異常に対応しているとしか思えません。

表面は色々最もらしい言い訳をしていますが、本気になって対応しているとは思えません。 ガス代、電気代その他から復興特別税とやらを支払わされていますがこれって結局原発のお粗末な対応の尻ぬぐいでしょう? 一見被害者の方々をメディアにもってくれば誰も文句なんていいませんが、どう見たって東電と国のお粗末な結果だとなぜ

メディアははっきりと追及しないのでしょう?

諸外国で風力発電や太陽光その他簡便な太陽エネルギー利用のシステムを見る限り、決して侮れないシステムだと思います。 何かの権力がからみあっているような気がしてならないのです。 国民は税金を支払う以上、知る権利があるはづですね。

我が家で庭の噴水が壊れてパネル一枚の小さなソーラーパネルの噴水システムを購入たのですが、なんと天気の日はこれで十分なのです。ちなみに980円でしたが。

つまり蓄電システムが改良されれば、太陽光はもっとすごい力を発揮するはづです。 でも国の予算は原発にとられているのです。

ギリシャの家々の屋根には、昔懐かしい給湯用のボックスがどこでも乗っていました。

太陽エネルギーはただなのです。 発展途上国のエネルギーに不可欠のもの。

海外援助のお金はこんなところにも使って欲しいものですね。