waraux-ba-baその15

さて、今回は燻製などというものに気をそそられてしまいました。

親切なベテランさんが町内会で指導、しかもワインを飲みながら、食べながら

年甲斐もなく高齢者の楽しい集いになったのです。

ベーコン、煮卵、チキン、ナッツ、塩サバ、カマンベールそして差し入れのサラダに

おいしいバゲットときては思わず年を忘れます。

 

私達の市では市民の家で近隣住民のいろいろな集いをおこなうよう支援しています。

そして私の近くの市民の家では特別素晴らしい集いとなっているのです。

それは多才な近隣住民である沢山のボランティアが、参加者が和やかに、楽しく過ごせるようそれはそれは涙ぐましいほどの努力をして下さっているからです。

週に3日午前午後に市民の家で、ダンス教室、ペン習字、スマホ教室、映画会,麻雀、スモーク料理など多彩な催しが行われ、誰でも申し込めて、ほとんど無料(材料費は除く)です。

しかも100円支払うと後は一日中何倍お変わりしてもコーヒーがただになります。

ちゃんとドリップコーヒーです。 お昼も簡単なうどんまたはカレーを350-500円

位で食べることが出来ます。

近隣の方々と知り合いになれて本当に有難いと思っています。

町内会の旅行もあり、最近は公園の解放にも町会の役員さんが参加して草取りやら、花壇やらのお手伝いをしながら、地域の子供たちのための催しを計画して下さっています。

団塊の世代の御父さん、お母さん達がその持てる能力を発揮して下さり、地域のために

力を貸して下さるとはなんとすばらしいことではありませんか!

市民の家で行うから、参加は自由ですし、気兼ねもいりません。

孤独な高齢者が少しでも減ればなんとすばらしいことでしょう!

私は生まれてから4分の3世紀ちかくも同じ場所に住んでいます。夫も50年になりますが

彼は最近までお隣の奥様のお顔さえ知らないという有様でした。

高い塀で囲った家ではお隣とめったに通じ合わないのです。

今は町会のお手伝いを始めたので私より顔見知りの方々が増えました。

昨日はお近くのお宅でコンサートがあったそうです。

年を重ねると知り合いが減っても仕方ないと思っていましたが、こうして新しい出会いがあると、頑張ろうという勇気が湧いてきます。

いまはやりのオプティマルエイジング(ベストな状態の健康をたもちながら長生きをすること)への誘いです。

2050年には125才から150才くらいまでいきるようになるそうですからね。

 

とにかく政府に期待するより、自分たちで支えあって生きる温かさを求めて模索した方が幸せそうな気がします。

そして自給自足の野菜をかじりながら今日も楽しく生き延びています。

せっかく作ったキャベツをヒヨドリなんかに食べられてたまるものかと必死に網掛けをしながら生き抜くのも、みかけよりはエネルギーのいるものなのです。

 

今日届いたスモーカーを前にしてちょっとやり過ぎたかと反省はしていますが、それは私のことですから笑ってごまかしてしまおうかと。。。。。。。

 

 

 

 

 

 

waraux-ba-baの日記その14

国別の幸福度ランキング2017を見ていると面白い結果が出ています。

国連コロンビア大学の連携による調査では世界で一番幸福度の高い国は

ノルウェーでついでデンマークアイスランド、スイス、フィンランド、オランダ、カナダ、ニュージーランドと続き、米国は14位、我が国はなんと51位なのです。

一方、米国ギャラップインターナショナルの調査によればフィジーが一番で次はフィリピン

中国。ベトナムインドネシアパナマパプアニューギニアとつづき、ノルウエイは22位、日本25位、スエーデン26位、デンマーク32位、アメリカ33位、フィンランド52位、

となるそうです。

前者はGDP,健康寿命,困難時に頼れる人がいるか、政府や企業からの汚職からの自由度など外部からの視点でみていて、当事者の感想ではありません。対象国は155か国。

一方後者は本人が幸福と感じている人の%から本人が不幸と感じている%をマイナスした数値(平均59)が高いもの順になっています。

中国は都市部に偏った調査なのでちょっとはづれるかもしれませんが対象国は66か国

フィジーは89、パプアニューギニアは77、日本は55 ドイツにいたっては46になります。

つまり幸福感というものは個人差があり、また外から見て幸せなのと、本人が自覚するものとは大分差があるということなのでしょう。

だからこそ人は生きてゆけるのですね!

フィジーの幸せ度は冠婚葬祭をみんなでやるので生きがいと貢献する喜びとが人々を幸せに導いてくれるようです。

この言葉皆さん知ってます?

退職後のスローガン。

「きょうようがある」「きょういくがある」

つまり、今日、用がある 今日、行くところがあるということです。

がんばって地域の集まりにでもせっせと顔を出しましょう!

 

 

 

waraux-ba-baの日記 その13

またまた間が空きました。 家族の入院などがあってバタバタしているとあっという間に時が過ぎてゆきます。 でも再び戻るはずのない日々をまあなんて粗末に扱ってしまったことかと悔やまれます。 どうせ過ぎる日々ならもっと楽しく過ごせばよいのにね。

最近のニュースは3年前に食べた後の残骸を植えたパイナップルが見事に再生したこと! 正真正銘のパイナップルです。

 そして我が家の冬の認識はヒヨドリがやってくる時。

彼は我が家のブロッコリーを狙ってくるのですが、今年は不作でキャベツに狙いを定めています。 つがいですが、夫は妻の食欲旺盛を横目でにらみながら必死に番をしているのがけなげです。山に住むはずの鳥が里へおりてくるようになったのも最近の傾向でしょうか。 カラスとスズメとむくどりとひょ。そしてめじろ、うぐいすとつづき最後にはひよが山へもどっていきます。昔いたかけすやげらはあまり見かけなくなりました。

始めは仲良く食べていますが、だんだんひよが威張りだし、腹を立てた夫がほうきをもって追いかけるのはまさに笑える風物詩です。以前来ていた猫はいつのまにかこなくなりました。 

そういうわけで冬野菜にはすべてネットをかけ終わり、さやいんげんやグリンピースの芽も出て、大根も元気に育っています。

裏の蓮池ではポーズをとるカワセミにお年寄りばかりでなく若いシャガール(写真マニアのお嬢さんのことをそういうらしい)もはりきっています。

カワセミ君なかなか役者です。

加齢に一番の薬はこの自然の営みに逆らわず生きてゆくことでしょうか?

隣家の木々が倒され新しい家がたちました。 家を追われたリスはいまごろどこへいったのでしょう?

静かにですが自然も生きていますね。

さあ、きょうも笑う材料を探さなくては!

 

waraux-ba-baの日記 その12

やれ、また督促状?がきてしまいました。 時の立つのはなんと早いことか!

過日テレビでみたのですが、メルカリとかいうネット上の直接売買をするヤングママの逞しさに圧倒されました。

50年前に学んだ経済学では問屋排除という販売形態が盛んになるだろうといわれました。 工場から直接売買?へーそんなもんか! 

でもコンピューター革命以後の世界は予測すらできていなかったのです。

当時のコンピューターは720. ディスクが一枚5kgの重さでした。

無菌室でスリッパをはきかえパンチの機械とくらしていたものです。

今は3歳の子供がパソコンを駆使しているのですからね。

孫の育児に口をはさもうものなら「60年前の育児」とののしられ、すごすごと退散する始末の現在を喜ぶべきなのでしょうか?

まあそんなことがあって一念発起。ブックオフへ出かけてみたのです。

概念としては古本屋?

いいえ、違います! 私楽しくなりました! なぜって私達の世代はもったいないを心棒にして育てられた世代ですからね。 使えるものを捨てるなんて身を切られるようにつらいのです。 それがこんなに堂々として販売されているだけで嬉しくなります。

そして思わず買いました! ブランドものの靴を!

なぜならすっと足に合い、しかも格安なんてものではありませんでした。

ブランドのなせるわざ? 腐っても鯛? いやそれは失礼かも。

とにかく楽しく時間を過ごしました。これでまた ba-baの遊び場所がひとつ増えました!

これまでも不用品を捨てるのは高齢者の義務と思ってせっせと食器や衣類を捨ててはいたのですが、これがまたその過去の心棒?のせいでなかなか思い切れません。ご近所で高齢者がなくなる度に繰り返される、庭木と家ごとばっさりの後始末を見るにつけ、本当に必要なものしかいらないという現実をまざまざとみせつけられているのに。

それでも次回は素敵なブランドアクセサリーにしようか、バッグにしようか?

懲りないba-baはきょうも笑うのです。

 

 

 

waraux-ba-baの日記 その11

最近どうも目に付くのがお粗末議員さんの行動。 メディアも結構面白おかしく仕上げていますが、それでも「ホントに大人?」と聞きたいくらいひどい。

過日見た地方議員さんのスイス視察?なんてそれこそ笑うしかありません。

吹雪の山頂から街を見下ろして?(絶対見えません。保証しますこれ。)「街づくりの参考にしました」なんて小学生だって恥ずかしくて言えないでしょう。 下山して半額セールのお土産を買いあさり、たった2時間庁舎に入って有益な交流が出来ましたとうそぶく。 一人80萬ちかくのビジネスクラスの航空代金(公費でしょ?)を使って連日ビールばかり飲んでいる。 しかも懲りずに3.4か所の展望台に上ってほとんど吹雪ばかり。 やっぱ日ごろの行いがでましたかね。すっかり追跡されていたのも気づかずに、平気で人前で嘘をつくなんてすごい度胸です。 家庭ではお子さんにどんな教育をなさっていらっしゃるのか、またどんな教育を受けられたのか伺ってみたいものです。 ある日は領収書をごまかし、ある時は不倫を「一線を超えてません」なんてほんとに成人式過ぎた人? テレビで沢山の子供たちが見ています。でもこの人たちを選んだのは誰と言われると、ちょっとひいてしまいますが。 でもこの方達を公認した各党も責任もってくださいよね。 除名すればいいっていうものではないでしょ。

きちんと追及してください。 まあ政治というものがキレイばかりでまわらないのは分かりますがあまりにも庶民を馬鹿にすると今に怖ーいお化けが出てきますよ。 

世界には自力で地域のために尽くしている日本人が沢山いらっしゃいます。地方議員の視察より現地の方々のお話を日本でしていただく方がずっと有益でしょう。

諸外国だったらゼネストになってもおかしくない状況でも日本人は優しいね。それだけ恵まれているのでしょうか。 国民性というか。 被爆者の像をアメリカ大使館の前においたりしませんものね。

実際はどこかの国が水爆実験などやっているのに、唯一被爆した我が国が静かなのも不思議に思えます。まあこの年ですから流れるままに生きてゆくしかないか。

やはり最後は笑うのが一番かも。

 

waraux-ba-baの日記 その10

今日はちょっと涼しい? やはり9月なんだと決めつけられたような妙な一日。

我が家は住人が思いつくままに勝手に庭をいじっているので、植木や野菜が混とんとしています。 植えたいものは片端から植えて、食べた種はかってに蒔いているので育つ方も勝手に育っています。 今年も春に栗が成ったと思ったら(数個ですが)夏には落ちていました。 5.6年前に実から育てたアボガトは3mを超えた大木になり、見事な実をつけました。 一方梨、桃は毎年かわいい花をさかせますが、なかなか実までたどりつけていません。 数年前に植えたバナナは大木になりましたがいまだ花もさかないのです。 それでも今年は子供のバナナがすくすくと成長し親と同じくらいになりました。家の裏では毎年かわいいピンクのバナナの花が咲くのになぜか我が家はまだなのです。

そしてなんと今年はパイナップルの花が咲きました。食べた実の底を切ってうえたのですが丁度3年目になります。 アナナス系のピンクの花ですが果たして実になるでしょうか? りんごは王林と富士の二本ですが、今年は富士はお休みのようです。 王林は13個ほどなっていますが、摘果などという大それたことは我が家ではタブーなので途中落伍したらジャムにしてしまいます。ブルーベリーも毎朝家人が適当につまんでいるので小鳥さんも迷惑なことでしょう。 ミカンやゆず、梅や夏ミカンも毎年我が家を多忙な日々にかりたてます。今年の春はレモンも200個くらい成ったので皆さまに喜ばれました。 無農薬はお子さん方のケーキには珍重されますので。今はブドウが次々と紫色に変ってゆきます。 棚の下でお盆を広げながら熟した実だけをつついて日々の果物にしています。農薬もかけず、摘果もせず、袋もかけずで自然のままにしたありますが、毎年けなげに実をつけてくれます。二本あるオリーブは3年越しですが花は咲けども実は成らずの大木になりました。庭の半分は野菜でトマトキュウリ、ナス、ズッキーニ、オクラ、パプリカ、カボチャ、ゴーヤなど。そして今年はゴボウも植えました。 ゴボウの葉のてんぷらはおつなものです。 蕗もかかせない食材です。昨年までは衣装ケースを並べてミニ田をつくりお米を作っていましたが籾摺りに手間がかかるので今年からハスを植えました。

ハスの実から植えて立派な葉は出ましたが、花は咲きませんでした。 ところが水中を探ったところ細いながら見事ハスが出来ているではありませんか!

早速ハスチップスときんぴらとして我が家の食卓にのぼりました。 ハスの実もおいしいですね。また邪魔にされる紫蘇の葉も今年は乾燥させてお茶に混ぜて飲んでいます。

ハーブとして十分な役をになっています。 ドクダミ草も我が家では煎じ薬として珍重されています。 お茶の木も植えてみましたがお茶作りはなかなかうまくゆきません。

これからは大根、白菜、きゃべつそしてジャガいもの植え付けなどかなり多忙になります。 そうそうニンニクの植え込みも今です。これはプランターなので良いのですが、我が家の野菜は狭い庭に植えるものですからサツマイモは紫蘇を乗り越えて弦を伸ばし、その隙間を落花生のつるが這いまわるというありさまで、せっかく植えたニンジンはとうとう行方不明になってしまいました。出来たものを出来た時に有難く食べるという日々なのでかまいませんが。 ただ、食べた種は必ず蒔き、小葱や三つ葉の根は植えるという単純作業でかなりの食材をえていますから自然というものは有難いものだと思っています。というわけで腰をまげながら草取りをつづけています。小雀に餌を運ぶ親の姿に目を細め、そして今日も笑える日々を感謝です。

waraux-ba-baの日記 その9

あまり間があくので、はて何回目?という感じです。 それでも生きている証として今日も書こうと思っています。 この年まで生きてくると本当に悲しいことに何度も出会い、それを潜り抜けてはまた出会いという連続です。 家康公の言われる通り「重き荷物を背負いて遠き山道を行くがごとし」なのかもしれません。一方では「隣の芝生は青い」ので自分だけが何でこんなひどい目に?などと思うことが良くありますが、実際は中にはいれば皆それぞれが悩みを抱えているのかもしれません。 そんな風に考えると電車のなかの独りひとりが何気ない風を装っていても、心では悲しい思いに耐えているのかななどと思えたりします。 人間の心なんて本当にか弱いのに、時としては想像を絶するほど強くなれることもあります。 だから生きてゆけるし、他人の心の揺れにも思いをはせることが出来るのかもしれません。ただあまりにも自分の心と向き合っていると疲れるし、本当の自分を見失ってしまいそうな気もします。

大勢の中の自分をみるのもよいのかもしれないと時々外へでる努力をしている毎日です。これってちょっと鬱っぽいですね。 でも鬱の後には躁がやってくるものです。

だからやはり笑うのが一番かも。